All the world’s a stage ― As You Like It (1623)

これは舞台『LIVE STAGE「ぼっち・ざ・ろっく!」』の2023年初演、2024年公演、およびアニメの『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!』のネタバレを含んだ感想記事です。partIを2回、partIIを7回現地で観たため各公演の記憶が混ざりつつありますが、なるべく初回に観た気持ちを思い出しながら、脳を焼かれた感想を残しておきたいと思います。
#舞台ぼっち-2024
学生の頃、週に一度は図書館に寄り、少し古めの映画のDVDを借りてよく観ていた。パッケージ版DVDの好きな所は、大抵は特典としてメイキング映像が入っていて、本編を見終えた後の寂しさを紛らわせながら制作者の声を聞けることだ。
一般的に、本編を再生する前にメイキングから確認する人間はとても少ないだろう。それは話の展開や作り手の意図を知る前の、いわゆるネタバレの無い純粋な状態で本編を視聴したいからだ。
メイキングまで観終えると、満足してDVDを返却棚まで持っていった。大抵の場合、また同じDVDを借りることは無く、次の週に未履修のDVDを借りることになるが、ごく稀に知っている内容のDVDを手に取ることがあった。名作は筋書きや制作の背景を知っていたとしても何度も楽しむことができる。では全てを知った上で、再度目の前で組み立てられるエンタメはどのように感じるのだろうか?
私は舞台の再演を初めて観劇することとなった。
2023を超えて
2023年の『LIVE STAGE「ぼっち・ざ・ろっく!」』は初めて現地で観劇した2.5次元の舞台作品だった。元々原作やアニメが好きだったこともあり初日の公演は配信で視聴したが、衝撃を受け、そして何より生でのライブシーンが観たくなり、後日現地で観劇した。
すぐに円盤を注文し、公演後のアンケートでは難しいことを承知で再演、続編の希望を出していた。そして2024年2月、初演のblu-ray発売直前の生放送では衝撃を受けるような隠し球が用意されていた ― 再演(partI)と続編(partII)の同時公演だ。何としても9月までは生きねばと思いながら、blu-rayの本編と山盛りのメイキング映像を繰り返し観ていた。
少し静かなミラノ座
2024年9月7日、久しぶりに足を踏み入れた歌舞伎町タワーのミラノ座は、想像よりも少し静かだった。関係者の体調不良により最初の5公演分が中止となったため物販のみの営業となり、中止公演分のチケットを持っていれば入場できるというものだった。物販だけだしそんなに人は居ないだろう…という予測は裏切られた。入場可能な時刻から物販に行列ができており、その列は階段をつたって上の階まで伸びていた。列に並びながら、partIIが始まる次の週を楽しみにしていた。あまり前情報は無かったが、物販横のバーも営業しておりコラボドリンクをひと足早く飲むことができた。
お待たせしましたpartII
そして9月14日、日程の関係から再演であるpartIより先に、続編であるpartIIが始まった。開演時間になり、視線は舞台に釘付けになった。ふたりちゃんの声がどこからともなく聞こえてくるが、舞台上に姿は見えない…
partIIでは、第4の壁は壊されるのではなく最初から存在しない。客席後方から現れたふたりちゃんが観客を盛り上げ、これまでのあらすじがミュージカルで紹介される。中央のスクリーンが上がると星が見えた。正確に言うと、ぼっちーずが手で星を作り、中心に後藤ひとりが現れた。最高の演出だ。ここで大歓声が上がる…。 この盛り上がりで、去年の千穐楽を思い出していた。
後藤ひとり役の守乃まも氏。去年のカーテンコールでまた引きこもることを宣言し、華麗な土下座を決めた後に両脇を抱えられ舞台袖へ消えていった彼女は、1年の時を越えて再び舞台に現れた。あのギターヒーローが1週間遅れで帰ってきたのだ。
partIIでも舞台は様々な景色をみせてくれた。ライブハウスの新宿FOLTでは、アニメ版のライブでは聴くことのできないSICKHACKのワタシダケユウレイをフル尺で聴くことができた。盛り上がりも凄い。ある公演日に下手側スピーカーの少し後ろの席になったが、ベースやドラムの低音で体を殴られたような感覚を味わえた。あの瞬間、SICKHACKは確かに新宿に実在していた。
そして体育館ライブ…照明や映像、すべての演出が、観客は体育館へ遊びに来た人たちだと錯覚させてくれた。ミラノ座のリアルな舞台袖は体育館の舞台袖として演技をしている。
ギターソロ前のトラブル。観客が安全にトラブルが起きることを祈るという不思議な心理状態はなかなか味わえるものではなかったが、弦が無事に切れ、バッキング、ボトルネック、舞台からのダイブ…。
一連の流れで不自然に止まることは無く、リアルタイムで動き続ける。そういえば、これはライブステージという名前を冠している公演だった。あまりにも丁寧で、ギターヒーローは実在していたのではないかと思うほどだった。
エンディングを挟み、ミニライブが始まる。明らかに去年とは空気が違うような感じがした。そこに居るのは体育館ライブを終えてすぐの結束バンドではない。数年後、何度もライブを乗り越えたような落ち着きを払っていた。それは「小さな海」が原作のどのタイミングで演奏されたかが匂わされていたことや、奏者の練度が去年の比では無かったこと、そういった要素が重なることで見えていた幻覚かもしれないが、ともかくあのミニライブの空間は、設定的に時系列のどこであるかは明言されない。それ故、結束バンドと観客が、設定を抜きにして純粋に向かい合っているような不思議な感覚を覚えた。あれは”ミニ”ではなく、観客一人ひとりが思い描いていた”結束バンドのライブ”そのものに没入した状態だった。
大盛りあがりのpartI
9月21日、ついに再演部分であるpartIが始まった。partIIの気持ちは一旦置いておき、後藤ひとりが結束バンドに入り、台風ライブとその少し先までの物語を再び追う。
partIはもう何度観たか分からないので、新鮮さは多少失われるものだと思っていた。ただ直前の配信の情報等から、単なる再演でないことは匂わされていた。これは知っている物語でありながら、まだ観たことのない何かが隠されている。
後藤ひとりが山田リョウに歌詞を見せるカレー屋のシーン。途中、リョウがどのようにして虹夏から結束バンドに入るよう説得されたのか回想が入るが、それは明らかにセリフが増えていた。舞台版の元となったアニメ版の、2024年での大きな差分…。劇場総集編の後編、入場者特典の小冊子であるエピグラフ2の文脈だ。(正確にはそのものでなくオマージュではあるが。)
そしてオーディション。店長がひとりに「お前の事、ちゃんと見ているからな」と話しかける。言い方が去年よりも優しい気がする。今年の観客側の視点としては”後藤ひとり”寄りではなく、ニュートラルな形でこの世界を眺めているのかもしれない。
台風ライブ。1曲目の「ギターと孤独と蒼い惑星」は、去年は緊張の表現としてテンポがずれていく感覚があったが、今年は更に演奏が固まっているような、息の詰まる感じがした。
2曲目の「あのバンド」は、奏者の熟練により1曲目とのギャップが更に強烈になり、演出も相まって後藤ひとりが覚醒している感じが最高だった。
そして3曲目。去年は舞台版の解釈により「青春コンプレックス」を演奏していたが、こちらも劇場総集編により大きな差分が生まれていた。後編のオープニングの位置付けとして、3曲目は新曲「ドッペルゲンガー」となっていた。そう、この曲は時系列的にどのタイミングで演奏されていたかが明かされていて、何より「あのバンド」から連続で演奏できるよう編曲されている(ベースの半音下げチューニングを戻す必要がない)。そして…舞台版結束バンドの4人はやってのけた。カーテンコールでも振り返っていたが、楽曲公開からの練習期間がほぼ無い中、ドッペルゲンガーをフル尺で演奏したのだ。喜多ちゃんが曲名を叫んだ瞬間の観客席の異様な盛り上がりは忘れられない。後方の席に座っていたが、演奏中、体が舞台の方へ引き付けられるような、そんな不思議な感覚だった。
という訳で、以前の公演を知った上で楽しむ再演は大変に満足できた。partI/II共に、観る前の予想というのはある程度立てていたが、どちらもそれを上回る参劇体験ができ、一生忘れられない舞台になった。
2つの結束バンド、8人の世界
メディアミックスか、あるいは2.5次元の性か、後発の作品はどうしても先に世に出ているものと比較されてしまう。アニメ版の結束バンドの演奏はプロの奏者、声優の方のスキルが遺憾なく発揮され、高い評価を得ている。2023年の舞台版結束バンドは約2ヶ月という限られた準備期間の中、劇中バンドの枠を超えた高いクオリティを舞台上でみせてくれた。今年は曲によっては去年よりも準備期間が短い中、更にそれを上回るパフォーマンスを発揮した。
演奏面において、舞台版結束バンドの究極的なゴールはアニメ版結束バンドのエミュレーションかもしれない。しかしながらこの舞台のバンドは、劇中の山田リョウが提案したような”当て振り”でなく、あえて生演奏という険しい道のりを選んだ。生演奏の魅力はある種、生の演劇と同じ点があり、それは観客の目の前で組み立てられていく所だ。組み立てられる時、周囲の観客は巻き取られ一体となる。そしてその点においては、本来のゴールであったアニメ版を超えたように感じた瞬間があった。あの4人は高い実在性をもって、確かにそこに居たのだ。
誤解なきように言うと、二元論的にアニメ版と舞台版のどちらが優れているかという話をしたい訳では無い。どちらも魅力的な点があり、2023年の初演から願っていることだが、今後も2つの結束バンドがコラボレーションできる機会が来て欲しいと思っている。
「参劇」
脚本・演出の山崎さんが手掛ける舞台の特徴の一つが”参劇”だ。私が参劇できたのは舞台リコリス・リコイルと舞台ぼっちの2作だけだが、どちらも観客は喫茶店の客になったり、ライブに来た客になったりする。観客は単に存在の見えない客ではなく、何らかの役割が与えられている。(ボカン大作戦はもっと大きい役割があった事を聞いたので、再演があれば是非行きたい。) そして、partIIではpartIを超えた参劇体験ができた。
普段は映画ばかり観に行っているのでそちらとの比較になってしまうが、映画の良い所は全く同じ作品を多くの人が繰り返し観られることだ。そして舞台が大きく違う所は、まさに目の前で観客と共に作品が作り上げられていく過程を観られることだろう。
世の娯楽は飽和していると叫ばれて久しいが、こういったインタラクティブな参劇は先ほどの映画とは真逆の点で、毎公演ごとに感じ方が変化していった。”参劇”は同じ作品であっても、新たな作品であっても長く楽しめるスタイルでは無いだろうか。
ロスの先へ
去年の千秋楽後、ひどく”舞台ぼっちロス”になったのを覚えている。ともかくアニメ版の生ライブに一度も行けていないので、私にとって一番身近な結束バンドというのは舞台版のメンバーだった。アニメ版の結束バンドの人気ぶりはここに書くまでも無く、当時も人気が続く限りはライブをやってくれるだろうという感触はあったが、舞台版はこれっきりなのではないかという心配が常に頭の中にあった。
当然ながら、舞台版のメンバーは舞台での活動が全てではなく、それぞれ他の本業を持っている。あれだけ才能のある人たちが数ヶ月稽古し生み出されたのがあの舞台だった。そう考えると再演や続編は遠い存在なのではないかと考えていた。
今年は”舞台ぼっちロス”にならなかったかと言えば嘘になるが、気持ちの上では少し落ち着いている。去年の守乃まも氏の千秋楽後のツイートは本当にこの世界から消え去ろうとしているように感じたが、今年はどことなく安心感がある。
何度も劇場へ通った感触としては、物販列やリピーターチケットの枯れ方、当日券の並び等は去年のレベルでは無かった。一番は原作やアニメが力を持っているというのもあるが、これまでの配信や無料公開、そして今年の公演を経て”舞台ぼっち”は着実にファンを増やしている実感がある。まずは来年3月のblu-ray発売を待ちたいが、今後もこのメンバーが何らかの活動を続けてくれると信じている。それがもし無理であっても、関係者の他の活動を末永く応援していきたい。関係者のライブや他の舞台はちょくちょく観に行きます(行きました)。
ここまで読んでくださった方は熱心な”舞台ぼっち”ファンとお見受けしますので、皆様も無理のない範囲でこの作品をこれからも応援していただければと思います。ありがとうございました。